チャーチ オヴ ホリールード

 

The Church of the Holy Rude

 

Rude または Rood は古い英語で、イエス-キリストの十字架へのはりつけを意味しています。

 

この場所における最初の教会は、1129年にデービッド1世(King David I)によって建てられましたが、それは1406年の火災によって焼失してしまいました。その後まもなく、スコットランドのチェンバレン公(Lord Chamberlain of Scotland)からの助成金によって新しい教会が建てられました。その中央廊下、南廊下と塔は1414年頃つけ加えられました。教会のこの部分はスコットランド様式の円柱とゴシック建築調の支柱に支えられ、またオーク材で葺かれたその屋根は、幾度かの葺き替えの後もそれがあたかも最初に葺かれたかのごとく、その姿を今に残しています。

 

この教会は人々が集うにはそう大きくなかったので、聖歌隊席(東側の部分)は1507年から1546年の間に熟練石工 ジョン-コウツ(John Coutts ; Master Mason)のテキパキとした監督のもとに、地元の商人達の援助によって作られました。

 

1656年、教会の二人の牧師及び彼らに従う信者達の口論から、町の役所は、現在中央廊下と翼廊下が交差している所(Crossing)に壁を作り、このようにしてそれぞれが独自の牧師を戴く東教会と西教会という二つの教会ができてしまいました。この状況は、1935年に二つの教会の会衆が一人の牧師のもとに統合されるまで続きました。

 

その後、1936年から40年にかけて大規模な改修が施されました。それによって教会を分け隔てていた壁が取り除かれ、教会の二つの短い翼廊下は延長され、Crossingの部分には穹稜型(船を前から見たときの底の部分の形をさかさまにしたもの---昔の教会の丸屋根は、ほとんどこの形をもとに設計されていた。)の屋根が付けられ聖歌隊席と祭壇の床は、教会付属室と会議室が聖歌隊席の下に作られている間、持ち上げられました。

 

1965年から1968年の間に更なる改修が実行されました。この工事には、いくつかの窓の網目模様を形作る石の骨組みの取り替え、多くの痛んだ石の付け替え、石組みの接点加工、そして暖房システムの付け替えが含まれます。1970年には塔の中の六つの組鐘が鋳直され吊り下げられました。これらは今日、手動によっても機械仕掛けによっても打ち鳴らすことができます。1987年から1993年の間に再び大規模な改修が、125万ポンド掛けて行われました。

 

スコットランド女王 メアリー(Mary, Queen of Scots)は、この教会で礼拝し、またジョン-ノックス(John Knox)は、ここで説教をしました。メアリーの幼な児のスコットランド王 ジェームス6世(JamesⅥ of Scotland)及び、1603年にエリザベス女王(Queen Elizabeth)崩御後、イングランド王も兼ねたジェームス1世は1567729日に、ここで戴冠されました。現在、定期的に礼拝が行われている英国内の教会の中で、唯一この教会はロンドンのウエストミンスター寺院の他に戴冠式を行った場所であります。